鹿児島県歯科医師会 X 熊歯野球部 試合結果


2009
1018日 球場:別府市営球場 大会名:九州歯科医学大会


1回戦 

鹿児島県歯科医師会

0

1

0

0

0

0

0

 

1

熊歯野球部

1

0

0

0

1

1

x

 

3

 


 

守備

打者

打数

得点

安打

打点

打率

1

2

3

4

5

6

()

西

2

1

1

1

.250

 

三振

死球

三ゴ

左安1

()

右山

3

1

0

0

.115

 

遊失

左飛

.

三振

()

井口

2

0

0

0

.036

 

三振

投ゴ

打妨

 

()

河合

2

0

1

1

.333

1

四球

右飛

中安1

 

()

山口

1

0

0

0

.222

1

死球

三振

死球

()

井野

3

1

2

1

.259

 

中安1

左安

三ゴ

()

渡辺洋

3

0

1

0

.400

 

三飛

三振

三安

()

吉崎

3

0

1

0

.286

 

二ゴ

三振

左安

()

上田

2

0

0

0

.231

 

二飛

四球

三振

 

 

21

3

5

3

.253

3

 

 

 

 

 

 

                                                                      残塁6 併殺0


 

投手

防御

x/3

打者

被安

被本

三振

四球

死球

暴投

ボーク

失点

自責

勝敗

山口

6

2

2

0

0.93

7

-

29

5

0

8

0

1

0

0

    勝利打点 河合(5) 中前打 ▽盗塁 西(25回) ▽失策 井口(7回)吉崎(7回)▽走塁死 河合(5回)

初回に失策と四死球で貰ったチャンスから井野の中前打で先制するが、すぐに連続長短打で同点とされる。しばらく膠着状態がつづくが、5回に上田、井口の打撃妨害出塁でチャンスをつくると、河合の中前打で勝ち越し。つづく6回にも1点を追加した。山口は7回に内野の連続失策からピンチを招くが、後続を断ち切り完投勝利。熊歯は沖縄以来3年連続初戦突破となった。

              

           

71失点で完投勝利             5回に1点勝ち越し      勝ち越しの足がかりとなる四球

 

鹿児島

【打撃】   打安点

(一)橘木    3 0 0    1一飛 三振6投ゴ

(中)久保     2 1 0   三振 中安 三振

(三)山口     3 1 0   遊ゴ 投飛 遊安

(右)迫田     2 0 0  2三飛4死球 三振

(遊)比志島  2 0 0   遊飛 投犠7右飛

(左)白澤     3 1 0   左2   三ゴ 一失

EH 平原     3 1 1   左安 三振 三ゴ

(二)江籠     3 0 0   投ゴ5三振 二失

(捕)村川     3 0 0  3三振 投ゴ 三振

(投)中園     2 1 0   中安 投ゴ

 

【投手】 

回 安 振 球 自

中園 6  5 7  5 3

 

二塁打 白澤

 

別府市民球場 提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

別府市には過去に青山町に別府球場(1931竣工)があったが、施設老朽化などを理由に2001に閉鎖された。跡地は2008チャレンジ!おおいた国体の会場として使用する体育館の建設地となり、2005別府市総合体育館(べっぷアリーナ)が竣工した。

別府市民球場はその代替施設として計画されたものである。建設中の200610月18には、別府市出身でかつて西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の黄金時代にエースとして名を馳せた「鉄腕」稲尾和久の功績を伝えるため、市内の政財界関係者が、市に対して球場の愛称を“稲尾記念球場”とし、場内に稲尾に関する資料施設の開設を働きかける「稲尾記念館推進委員会」が発足した。同日、別府市の名誉市民でもある稲尾は浜田博市長と会談した後「記念館で観光客を呼び、故郷に恩返しをしたい」と想いを語り、また福岡県福岡市の自宅に所蔵していたユニフォームやトロフィーなどについても「墓に持っていける物ではない。後世に残し、野球への情熱につながれば男冥利に尽きる」と市に寄附する意向を示し、市もこれを受けて資料施設の開設を決定、設置費用の一部は地元有志からの寄附の他、市民からも募金を募って賄われることになった。

こうして市民球場は200710月に竣工した。フィールド部分全体は阪神甲子園球場を参考に設計されており、ファウルエリアの面積や内野の土、外野の天然芝なども甲子園に準じている。なお両翼・中堅の距離は大分県内で唯一、プロ野球規格を充足している。10月2に執り行われた落成記念式典には稲尾本人も出席。メインスタンド正面ロビーには稲尾の投球フォームをモチーフにしたブロンズ像が建立され、またメインスタンド1階には稲尾の足跡をたどる資料コーナー「稲尾記念館」が併設された。さらに式典当日には、西鉄が読売ジャイアンツ(巨人)を3連敗の後に4連勝して下し、3年連続日本一に輝いた195810月21日本シリーズ7戦(後楽園)のスコアをスコアボード上で再現する、粋な演出も行われた。

同年4月26、初のプロ野球の公式戦(交流戦)読売ジャイアンツ対福岡ソフトバンクホークス1回戦が、3,980人の観衆を集めて開催された。巨人は地元大分市出身の脇谷亮太が適時打を含む2安打を放つなど活躍。投げては先発の金刃憲人71失点、3被安打9奪三振と好投し、2番手で登板した同じく地元大分市出身の川口容資は、最速147kmをマークするなどして打者2人を抑えた。巨人は2-1で迎えた8回にソフトバンクの2番手クリストファー・ニコースキーを攻め立てて一挙5点を挙げて突き放し、結局7-1で巨人が勝った。

 

 

両翼:100M

中堅:122M

 

球場正面から入ると稲尾記念館になっています。現役時代や監督時代のユニフォームやトロフィーなどが展示されていました。ビデオも上映されていました。入場無料です。写真を撮影させて頂きました。

 

   
   
出番を待つナイン     銅像             ペナント            トロフィー
                  
ビデオ上映。